レーシック取材日記 / 医療問題

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10年後のニッポン医療

今年も残り僅かになってしまいました 汗)

仕事の忙しさにかまけて、やるべきことが
全然達成できなかった、正直、心残りな一年でした。

日本医療事故被害報告会(JaMER)の
具体的実現をはじめ、その他の個人ドキュメンタリー作品も
本格的に「起動する」来年にしたいと考えています。

タイトルに書いた「10年後の医療」ですが、
一体どうなっているのでしょうか?

僕は、36歳。
親は、、、生きていれば介護が必要な年齢かな。

先日、医療事故の被害者の集まりで、
「10年後の医療」について話し合いになりました。

これまで、医療事故のことで闘ってきた先輩方にとって、
僕のような20代が関心をもって、行動にうつしている
というのは、とても印象的に、そして魅力的に映るようです。

改めて実感しましたが、
20代の人たちにとって医療のことって、なかなか関心を
持たないテーマだと思います。

病気で身体が大変にっ!?なんて年齢ではないし、
親もまだまだ現役世代でしょう。

でも、医療が必要になる、50代や60代という年齢になって
「あっ、これって大変な問題なんだ!」と気付くのでは
本当に遅いんです。

実際、行動を社会に反映させるには、莫大な時間がかかる。

レーシック問題の当事者にならなければ、
僕自身も(身内に医療従事者がいるにもかかわらず)
関心を持つことのなかったテーマだと思います。

若い世代にも届く声で、
関心を持ってもらうように、今後も制作活動を
続けていこうと思っています。

皆さま、良いお年をお迎えください。

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No Voice, No Life

ありきたりなタイトルを書いてしまいましたが、
「No Voice, No Life」

続けていきましょう。

声をあげてなんぼでしょ?
人生で災いが降り掛かることは必ずあります。

病気や障害だけのことではありません。

トラブルに直面した時に、人は成長すると思います。

あきらめる&泣き寝いる ではなくて、
受け入れる&闘う が人が生きる姿ではないでしょうか?

流した涙に必ず意味はあります。
二度と同じ過ちが繰り返されないように、
これからの時代の人に伝えられることが絶対あります。

続けていきましょう!!

「日本医療事故被害報告会」
(Japan Medical Error Report) 

の立ち上げを目指しています。
日本で医療事故被害にあった方たちが
積極的に外の世界に実情や問題を
訴えかけていきましょうという団体です。

こちらの活動も今後ますます盛り上げていきます。
ご協力のほど、宜しくお願いします。

募集掲示板

THIS IS 「募集掲示板」
定期的に、継続してアップしていきます。
ライブハウスのメンバー募集みたいなもんやねw


1.ご自身のレーシック体験を
カメラの前で話してくれる方募集。
※顔出しは絶対条件ではありません

2.クリニックに対する抗議活動に
参加してくれる方募集。



あなたの明日は、あなた次第。

僕の9.11

10年前の9月11日、実家のテレビに映る
米国ツインタワーの映像にくぎ付けになっていた。

4年前の9月11日、品川近視クリニックで
レーシック手術を受けた。

そして、今年の9月11日、後遺症を背負った目で
脱原発のデモを観察していた。

いま、日本の人たちは怒っている。
これまで見てきたデモとは様子が違った。
日比谷公園、新宿アルタ前…。

デモを眺める若者たちの眼差しが深刻だった。
何か変われば、と心より訴えていた。

日本においては、
デモなどの反体制活動に対する理解は乏しい。

「なにやってんの、あの人たち?」

という冷ややかな反応が一般的だと思う。

当事者ではなく、傍観できているうちは善しかもしれない。
普段の生活で、「どうでもいいこと」を他人が騒いでいるのは
耳障りに思う人もいるだろう。

まぁ、ある意味とても平和な国だ。

でも、考えてほしい。
当事者になった人たちにとっては
一体どういう社会なのだろう…。

強き者たちが社会を仕切り、
弱き者たちは黙って従うしかない。

先のデモで、思想家の人が言っていた。

「デモにどんな意味があるのかと懐疑的に問う人が多くある。
しかし、デモには意味がある。
それはデモのある社会をつくる行為だからである。」
(2011年9月11日 柄谷氏@新宿アルタ)

まったくその通りだと思う。
行動を起こすことで、前例ができる。

前例ができると、意思が固まりきらない人も
思いきって行動を起こすことができる。

そして、思いきった主張ができる社会になる。

レーシック患者(被害者)たちの現状は
どう考えても変だ。

正当な主張をもつ被害者たちが
クリニックや国を恐れて発言できない。

私たちの日本は、そんな国だったのか!?

「自分が行動をして何か変わるのだろうか?」
そう疑問に思うのも無理はない。

生まれてこのかた、一度も公共の場所での
発言を経験してこなかった人も多いだろうから。

でも、「変わるのだろうか?」ではなく
「変わる」と信じる力は、全体の推進力になる。

そう思う。

過激派 vs クリニック

原一男のアクションドキュメンタリーを
久しぶりに見て、色々と考えました。

「ゆきゆきて、神国」という作品。

主人公の奥崎謙三は、第二次世界大戦中に
自分が所属していた部隊で、隊長による部下射殺事件を知る。
殺された2人の兵士の遺族とともに、
殺害に関与していると思われる元隊員たちを訪ねて、
時に力づくで真相を追求していく。

当時の上官たちに暴力をふるう奥崎だが、
印象に残るのは、彼が暴力を真っ向から肯定する部分。
「平和」や「公利公欲」
のために行使される暴力は許される、
という信念のもと行動する奥崎の過激さをカメラは追っていく。

と、まぁなかなか刺激的な映画です。

僕は暴力を肯定する訳ではありません。
むしろ、全否定です。
自分の思う通りにいかないことは何事も暴力で解決していく
という考え方は最低だと思います。

自分が苦しい立場だからって周りの人に
思いやりを持てないのも違うと思う。

ただ、彼の理論にも一理あるのでしょうか…。
時に社会に声を届けるためには、過激さも必要なのだろうか。

皆さんは、どう思いますか?

「ゆきゆきて、神国」ですが、
レンタルビデオ屋さんとかにもあるので、興味ある方は是非。

ちなみに、奥崎は
元上官宅に銃をもって押しかけて、鉢合わせた
息子に向け、発砲。息子は重体。

殺人未遂容疑などで逮捕され、
懲役12年の実刑判決を受けました。

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