レーシック取材日記 / 医療問題

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世論の壁

消費者庁によるレーシック被害の調査に感心をよせています。21日に電話相談を実施するそうです。それで何が変わるのでしょうか。

http://m.huffpost.com/jp/entry/4382501

もっと早く国が動いていれば、レーシック被害者の数も減っていたのではないかと、考えてしまいます。

レーシック取材を始めたのが2009年。カメラの前で、取材を通して知り合った人達が、もがき、苦しみ、泣く。正直な姿をみせてくれたその人達の想いに報いたいと、テレビ局に企画を持っていったものの、相手にされませんでした。その間にも、増え続ける被害者の数。

全ての社会には異なったルールがあります。日本を外から見ていると、日本社会の仕組みがよく見えてきます。臭いものや、疑い深いものは力がある人達によって消されていきます。

ニュースになることが目的ではない。凄まじいスピードで移り変わる世論の感心をひきつけることは容易ではないですが、強烈なインパクトとともに、新たな視線を提供することで、人の心を動かせるのではないでしょうか。芸術もそのひとつです。

アメリカFDAでレーシック承認に関わった人物の取材が迫っています。彼の人生にじっくりと迫りたいと考えています。

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萎縮医療

医療訴訟に関わる仕事を長年していた方から、

「萎縮医療」

という聞き慣れない言葉を教えてもらいました。


なにやら難しい説明はおいといて、

裁判やら、医療過誤の責任やら
色々なストレスが高まると、
「医療行為」自体がリスクの高い仕事のように思われ、
先端医療の開発や、必要な従事者を含む医療全体が縮小する。
(勝手な解釈ですので、訂正あればどーぞ)

という考え方らしいです。


医療被害者の方たちにとって、
判断を迫られる印象を受けました。

家族や本人が医療過誤によって後遺症を背負った場合、
それを治療する技術開発や新薬の登場を期待するのが普通です。

でも、周りが騒げば騒ぐほど、
医療従事者たちは、ヤル気を失う!!?


違った角度で考えてみました。


モンスターペアレンツ

親が恐いからといって、教師を目指す人は減るのでしょうか?

僕は、違うと思います。

むしろ、意欲の高い、「保護者なんかに文句言わせるかいっ!」と、
少々とがったGTO鬼塚みたいな先生が登場する例もあるのではないか。


医療界と教育現場でルールは違うもの、
志の高い人は、いつの世にもいるものだと、
僕は思いたいです。


そもそも、「モンスター患者」
が誕生しないのは、病院や医療従事者がある種の優位的な立場を
確保されているからではないか、とも思います。

医者も人間だし、間違いもある。

社会が必要とするのは、

教師であれ、医者であれ、
間違った人を裁き、救う組織体制 ではないでしょうか。

しっかりしたバックアップがあれば、
事故の隠蔽や、患者が不利になるような対応も減るのでは、、、。

と、素人ながら思った
Yさんとの有意義な会話でした。

日本における医療事故

最近は、レーシック以外の医療事故被害者の方から
お話を聞く機会も多くなってきました。

法律が変わったり、新しい制度ができたりと、
『表面的には』、被害者の方にもメリットが増えてきている
ように思われます。

しかし、被害者の方たちから直に話しを聞いていると、
「何も変わっていないのかもしれない…」という感想を
持ってしまいます。

先日、医療基本法のシンポジウムに参加してきました。

シンポジウムが終わって、帰りの支度をしていると、
医療事故被害者のお母さんが話しかけてきてくれました。

「あんな事話しているけど、10年以上も
 何も変わっていないのよ!!」

彼女の息子は、医療事故によって
寝たきりの状態が続いているそうです。

切実な訴えでした。

10年以上も同じ事を議論しているのに、
当事者である患者や患者の家族が置かれる状況が
変わっていないとすれば…、

それは、いったい何故でしょうか?

「この国は、弱い人たちの為には何もしてくれない」
と、どこかで嘆いている人がいました。

日本の文化や習慣?でしょうか。
何事に対しても、国主導の問題解決を国民は
受け身で待つ、という構図が出来あがっている気がします。

「してくれない」ではなく、
「してくれるよう」に変えていく必要がある
と思います。

医療事故被害者は、マジョリティではありません。
国民の数%いるかいないかでしょう。

しかし、誰もが被害者になりえる可能性があります。
そして、超高齢化社会に突入し、複雑な高度医療が普及する日本で、
医療事故件数は今後ますます増えていくのではないでしょうか。

「自分は関係ないから。」と考えている人たちを
振り向かせる工夫と説得力があれば、
世論を変えられると、本気で考えています。

勢いのある発信力で、被害者の現状を伝えていく
必要を非常に感じています。

まとまっていない意見で、失礼しました。

レーシック問題を法律の面から考えてみる…

レーシックによる後遺症や合併症が残った方にとって、
クリニックからの正式な「謝罪」と「説明」はいくらか
精神的なストレスを緩和させるものかもしれない。

もちろん、金銭的な面を重視する方も多いと思う。
レーシック被害によって、仕事や学校の継続が困難に
なった人たちの話を聞いていると、将来の生活における
被害額は一体いくらになるのか考えてしまう。

実際、僕自身もこの問題の被害者になっていなければ、
精神的にも金銭的にも、もっと安定した生活をしていただろう。
そもそも、20代半ばでこれほどの診察費・治療費を
病院に払うようになるとは想像していなかった。

しかし、レーシック病院や医者を訴えようと
考える難民は、実に少ない。何故か??

問題は大きく2つあるように思う。
1つは、同意書の存在。

同意書にサインをしたという事実が
被害者がレーシックを自分の意志で選択したという
動かぬ証拠だろう。

合併症や後遺症などのリスクに関する
インフォームドコンセントが医師の口から直接、
しっかりなされたか、なかったかは問題にはできない。

なぜなら、被害者がサインをした同意書には
その人が「リスクを考慮した上で手術を選択した」
と読ませるような工夫がしてあるだろうし、
法廷で病院側は、
「この同意書にあるように、被害者には十分な説明を果たした」
と主張するだろう。

証拠は、被害者自身の「サイン」。

説明義務や責任を追及するには、
被害者はあまりにも劣勢の立場に置かれている。

2つ目の問題は、
レーシック被害者の視覚障害を
説明するデータが揃っていないという点。

難民の中には、
機械で量られる数字データでは『正常』だが、
本人の感覚として異常を感じているという人が
少なくない。

目の痛みや頭痛などの一次的な原因が
レーシックによるものだと証明する医学データを
被害者は持ち合わせていない。

手術を受けてから症状が発生しているのに、
何を馬鹿な!?と指摘がありそうだが、
では逆に、あなたの症状がレーシックによるものだと
いかに証明できるのか考えてもらいたい。

視覚はとても主観的な感覚だし、
エクタジアのような外的異常が認められない限りは、
レーシックによる視力障害を証明する壁は高いと思う。

手術データやカルテなどを元に、
他の医師など専門家に証言してもらうことは
有効な手段だと思うが、同業者を敵に回してまで
法廷に立ってやろう!という医師がいるだろうか…。

仮に、裁判で勝てる見込みがあったとしても、
それは「説明義務違反」や「期待件の侵害」など
少額の賠償金を見込むものであり、その程度の裁判のために
時間を割こうという被害者や弁護士がどれほどいるだろう。

レーシック裁判はやるだけ無駄なのだろうか…。

レーシック裁判に限らず、医療裁判は
日本では「不採算分野」と呼ばれることもあるらしい。
時間と金をかけても、採算がとれない分野という意味だそうだ。

一方、海を渡ったアメリカでは、レーシック裁判を専門に
手がけている弁護士もいるようで、医療裁判と異なる点を
示している。

★金儲けを目的としているレーシック病院の医師は
裁判官から悪い印象を受けることも多い。
「格安レーシック!今なら○○万円!!」のように
医療行為を安売りしているのだから、当然である。

★もともと目の病気や障害がなかった患者に、
レーシック手術でトラブルを生みだしたという点において、
注意を怠った眼科医に対する判断は厳しい。

ううん、納得の部分もある。

ただ注意が必要なのは、
レーシック難民の問題は、最近話題になっている
銀座眼科の問題とは異なり、それぞれ語られる
物語が違うということ。

Aさんが裁判に勝ったからといって、
じゃあBさんやCさんも勝てるかというと、
実際そうとは限らない。

また逆に、ちょっとしたことで、Aさんの
判決を覆すことも可能なのかもしれない…。

米国レーシック問題 最新情報

まず Abby Ellinさんについて簡単にご紹介。

彼女は、20年にわたってアメリカでフリー記者として
活躍している。

そして、レーシック被害者でもある。

NYに拠点を移してからは、ニューヨークタイムズなどにも
記事を投稿してきた彼女だが、08年には自身のレーシック体験に
ついてもNYタイムズで赤裸々に告白している。

http://www.nytimes.com/2008/03/13/fashion/13SKIN.html

そんな彼女に会って、話を聞いてきた。

手術を決めるまえに3つの病院で診察をうけたAbby。
会社の先輩に紹介されて即決した僕と比べると、
かなり慎重な方だと思う。

もちろん、たっぷり事前リサーチもしただろう。
ベテラン記者ですから。

手術の結果は、最悪。
暗闇でのダブルビジョンやハロ。
ドライアイのため2種類の目薬は手放せない。

人生で最大の誤った選択だったと話す彼女。

でも、病院やクリニック業界を責めてはいないという。
責めるべきは、あくまで手術を選択した自分自身であると。

NYタイムズの記事にはこう記している。

「でも、医者に怒ってはいないわ。
 自分には腹が立つけどね。
 誰からもレーシックを強要された訳じゃないし、
 全てが一瞬の判断で決まってしまう世界で、
 手術にはリスクがつきものだと忘れがちなのかも…」

(NYT原文より)
Still, I’m not mad at my doctor. I’m mad at myself.
No one forced me to do it. In our quick-fix culture,
we forget that there are risks with any surgery, elective or not.

会って話しを聞いたときも、
彼女は全く同じことを言っていた。

レーシック問題、ひいては日本の医療事故問題を
社会に向けて発信しようとしている僕の活動には、
強い興味を示してくれて、支持をしてくれている。

とっても重要なことだ、とも激励をくれた。

でも、いまだに分からない。
レーシックの問題で、責任を問うべき人は誰なのだろう…。

結論がでるのは先だが、
1つだけ言えることがある。

アメリカでは、レーシック問題に対する関心が高い。

レーシック訴訟を専門に扱っている弁護士さんや、
問題の認知度を高めるため活動をつづける人たちもいる。
FDAでは、(結果は政府のExcuseで終わるかもだが)
被害者たちのヒアリングが続いている。

一方日本では…。

問題意識は生まれるのか?
それとも、人工的に作りだされるものなのか?

さぁ、どっち!!?

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