レーシック取材日記 / 医療問題

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僕の9.11

10年前の9月11日、実家のテレビに映る
米国ツインタワーの映像にくぎ付けになっていた。

4年前の9月11日、品川近視クリニックで
レーシック手術を受けた。

そして、今年の9月11日、後遺症を背負った目で
脱原発のデモを観察していた。

いま、日本の人たちは怒っている。
これまで見てきたデモとは様子が違った。
日比谷公園、新宿アルタ前…。

デモを眺める若者たちの眼差しが深刻だった。
何か変われば、と心より訴えていた。

日本においては、
デモなどの反体制活動に対する理解は乏しい。

「なにやってんの、あの人たち?」

という冷ややかな反応が一般的だと思う。

当事者ではなく、傍観できているうちは善しかもしれない。
普段の生活で、「どうでもいいこと」を他人が騒いでいるのは
耳障りに思う人もいるだろう。

まぁ、ある意味とても平和な国だ。

でも、考えてほしい。
当事者になった人たちにとっては
一体どういう社会なのだろう…。

強き者たちが社会を仕切り、
弱き者たちは黙って従うしかない。

先のデモで、思想家の人が言っていた。

「デモにどんな意味があるのかと懐疑的に問う人が多くある。
しかし、デモには意味がある。
それはデモのある社会をつくる行為だからである。」
(2011年9月11日 柄谷氏@新宿アルタ)

まったくその通りだと思う。
行動を起こすことで、前例ができる。

前例ができると、意思が固まりきらない人も
思いきって行動を起こすことができる。

そして、思いきった主張ができる社会になる。

レーシック患者(被害者)たちの現状は
どう考えても変だ。

正当な主張をもつ被害者たちが
クリニックや国を恐れて発言できない。

私たちの日本は、そんな国だったのか!?

「自分が行動をして何か変わるのだろうか?」
そう疑問に思うのも無理はない。

生まれてこのかた、一度も公共の場所での
発言を経験してこなかった人も多いだろうから。

でも、「変わるのだろうか?」ではなく
「変わる」と信じる力は、全体の推進力になる。

そう思う。

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